明治6年9月20日(1973年)に、北山田地区に宗守聴信寺を仮校舎に当て、温知小学校として開校された。明治8年3月(1975年)宗守村にあった御蔵屋敷除税地198坪を小学校地に下げ渡され、8月校舎一棟(瓦葺二階建て18坪平屋4坪)を新築した。 この小学校の名前から、旧北山田保育園を”温知交流館”と命名した。
その後、二学級編成の「温知尋常小学校」、さらに明治27年に三学級編成となり翌年4月25日に「北山田小学校」と改名された。大正13年3月30日(1924年)創立50周年を機として、本館と体操場を備えた北山田尋常小学校が落成した。昭和16年4月「北山田国民学校」と改称された。昭和22年4月「北山田小学校」と名前が元に戻った。昭和27年5月北山田村が福光町に合併し「福光町立北山田小学校」となった。昭和40年3月22日校下民の教育に対する深い理解と協力と期待から教育振興会が発足した。昭和43年教育振興会の尽力により校下民の米一俵拠出運動が行われ、北山田プールの完成を見た。
さて、このような時代の流れの中で、児童数は、昭和37,38年頃より急激に減少し、創立90周年式当時(昭和38年)には児童数248名であったが、昭和50年代には100名台となった。これはいわゆる人口の都市集中や家族人員の減少の流れが北山田の地にも押し寄せたことによるものである。 昭和57年4月1日より、旧北山田小学校の児童は、近代的諸設備を持つ福光東部小学校へ通学することとなった。昭和57年3月(1982年)をもって、校下の人々に惜しまれながら北山田小学校は閉校となった。
北山田保育園は、昭和28年(1953年)北山田小学校内に併設され、昭和29年7月10日(1954年)宗守2928番地に新築落成し、昭和56年12月19日(1981年)に、現在の北山田小学校グランド東南側に新園舎が完成した。その後児童数の減少に伴い、平成28年3月(2016年)に、北山田、山田、吉江保育園の統合により閉園となった。
参考文献:北山田のあゆみ(小学校閉校記念 昭和58年7月1日発行)